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東京高等裁判所 昭和58年(う)543号 判決

被告人 塚口信雄

昭三・三・二一生 農業

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中一七〇日を右刑に算入する。

長野県上田市常田二丁目三〇番一四号塩入正雄方において保管中の黒色火薬約七五四グラム(証拠略)及び銃用雷管二八二個(証拠略)は、これを没収する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人湯本清が差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官興野範雄が差し出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

控訴趣意第一(事実誤認等の主張)について

(一)所論は、被告人が原判示第一ないし第五の各行為に及んだのは、いずれも被害者である同判示宮本善次及び同小市佳文に対するいやがらせの目的によるものであつて、同判示の各建物を焼燬する意思に基づくものではない、という。

しかしながら、原判決の挙示する諸証拠を総合すれば、被告人が放火の犯意に基づいて原判示の各犯行に及んだものであることは明らかである。すなわち、右の諸証拠によれば、被告人が右の各犯行に及んだ動機は、原判示のように右宮本善次ないしは小市佳文方建物に放火することによつて、同人らをして、失火の責任を負つて同人らがそれぞれ所属している同判示消防協会の役員の地位から引退せざるをえない立場に追い込もうとする意図によるものであること、右の各犯行の手段は、時限発火装置を携帯してめざす建物に向かい、これを持込み、そして仕掛け、あるいは、点火した懐炉灰を便所の壁と外壁との間の隙間に秘かに吊るすなど、いずれも現住建造物の焼燬の結果を生ずる危険性のある行為、ないしはその準備行為であること、及び原判示第一、第二、第四の各犯行がいずれも放火未遂にとどまり、同判示第三、第五の各犯行が放火の予備にとどまつたのは、時限発火装置内の懐炉灰の火が立ち消えになつたり、あるいは、被告人の予期に反して時限発火装置を仕掛けうる場所を発見できなかつたという事情によることが認められる。かかる諸事情にかんがみると、被告人は、所論のように、単なるいやがらせの目的をもつて、原判示第一ないし第五の各行為に及んだものではなく、放火の犯意、すなわち、現住建造物を焼燬する意思のもとに、右の各犯行に及んだものであることは明らかである。右の認定に反する被告人の原審公判廷における供述は措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)所論は、原判示第一の時限発火装置には、すでに先端の一部が燃焼して、その長さが、七センチメートル程度になつた、いわば燃え残りの懐炉灰が使用されていたのであるから、後日、その懐炉灰がもとの長さのままの状態で立ち消えになつているのが発見されたことにかんがみると、右時限発火装置が同判示喫茶店「ルミエール」の床の上に置かれた時、すでに右懐炉灰の火は立ち消えになつていた疑いがある。それにもかかわらず、右の時限発火装置には未使用の懐炉灰が用いられたという誤つた前提に立つて、当時、右懐炉灰の火は依然燃焼していたものと認定し、現住建造物に対する放火罪の着手を認めた原判決には事実の誤認がある、という。

なるほど、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書中の供述記載は、右の犯行に供された懐炉灰が、果たして長さ八センチメートル以上を有する未使用のものであつたか、それとも、すでに一部が燃焼した、いわば燃え残りのものであつたかの点に関しては、直接触れるところはない。しかしながら、被告人は司法警察員および検察官の取調に対して、原判示第一の犯行に際し、それが自分の犯行であることが発覚するのを免れ、かつ、右喫茶店「ルミエール」の閉店後、時限発火装置が発火するようにするため、薬局から多数の懐炉灰を購入してきたうえ、そのままの状態で燃焼させれば、約三〇分間程度で燃えつきてしまう右の懐炉灰に石綿を巻きつけ、しかも、それを巻きつける際の締め方が強すぎると、火が立ち消えになるおそれがあるため、その締め具合を加減することによつて、これが約二時間にわたつて燃焼した後に発火するよう、あらかじめ実験を重ねた旨を供述しているのである。このように、未使用の懐炉灰を用いて、これに点火してから約二時間も経過してから発火するよう、燃焼時間をできるかぎり延伸するための実験を施した旨の供述内容にかんがみると、右の各供述調書中の供述がいう懐炉灰とは、事柄の性質上、当然に未使用の懐炉灰を指す趣旨であると解されるのである。してみると、原判決が原判示第一の事実の認定に際し、右の各供述調書のほか、右の時限発火装置に用いられた懐炉灰が未使用のものであるという前提のもとに、その懐炉灰の火が立ち消えになつたのは、点火後六〇分間以上を経過した後と推認される旨の記載がある山口哲雄作成の昭和五六年七月二七日付実験結果報告書を証拠として採用し、右時限発火装置が右喫茶店「ルミエール」の床の上に置かれた時、その懐炉灰の火は未だ立ち消えになることなく燃焼を続けていたと認定した点は正当である。右認定に反する被告人の原審公判廷における供述は措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)(イ)所論は、被告人が原判示第二の行為、すなわち、同判示のとおり懐炉灰三本を針金に結わえて、これに点火したうえ、同判示喫茶店「ルミエール」の便所の内壁の壁穴から外壁との間の隙間に差し入れて吊るす行為に及んだとしても、同所は密閉された状態になつていて、右懐炉灰の火が同所の可燃物に燃え移る危険性はない、したがつて、右の行為は不能犯に当たるというべきであるにもかかわらず、これが焼燬の結果発生の危険性ありとして、現住建造物に対する放火の着手に当たると認定した原判決には事実の誤認がある、という。

なるほど、原判示第二の喫茶店「ルミエール」の便所の内壁と外壁との間は、密閉された状態で、通風の悪い構造であつたため、同判示の方法で火を放つても、これら壁の内側を構成する木材等の可燃物に延焼する可能性が殆んど存在しなかつたことは、原判決の挙示する諸証拠に照らして明らかなところである。しかしながら、被告人は同判示の行為に及ぶ際、右の事情には気づかず、懐炉灰の火が可燃物に延焼して焼燬の結果を発生させうるものと信じており、また、一般人を被告人が同判示行為の際におかれた立場に立たせてみても、やはり、右の事情の存在には気づかず、同判示の方法によつて、懐炉灰の火が右の壁の内側を構成する木材等の可燃物に延焼し、焼燬の結果を発生する危険性があるものと認識するのが当然、と考えられる状況にあつたと認められる。このような事情を前提として考えると、同判示の行為は、現住建造物焼燬の結果を発生する危険性があるものというべきである。したがつて、被告人がいやしくも同判示の行為に及んだ以上、それは、現住建造物等放火罪の実行の着手に当たるといわざるをえず、たとえ、同所がたまたま前記のように密閉された状態で、通風の悪い構造となつていたことから、懐炉灰の火が、右の壁の内側を構成する木材等の可燃物に延焼する可能性がなかつたことから、焼燬の結果を生じなかつたとしても、それは同未遂罪の成立を否定すべき事由とはならない。

(ロ)所論は、原判示第四の時限発火装置によつて可燃物に延焼する危険性はないにもかかわらず、原判決がその危険性ありと認定したのは事実を誤認したものである、という。

しかし、原判決が挙示する諸証拠を総合すれば、同判示の時限発火装置によつて可燃物に延焼し、同判示現住建造物を焼燬する結果の発生する危険性があることは明らかである。そして、右の認定に反する証拠はない。

それゆえ、原判決には、所論が前記(一)ないし(三)に指摘するような事実の誤認はなく、また、法令の解釈適用の誤りも存しない。

(四)さらに所論は、被告人が原判示第三の時限発火装置を、同判示「コーヒースナツク不二」の床の上に置いた際、その装置内の懐炉灰の火は、既に立ち消えになつていた疑いがある。それにもかかわらず、当時、右の懐炉灰の火が依然として燃焼していたものと認定し、現住建造物等放火未遂罪の成立を認めた原判決には事実の誤認がある、という。

原判決挙示の諸証拠によつて、右の時限発火装置に使用されたものと認められる懐炉灰一本(マイコール懐炉株式会社製、商品名「マイコール」、(証拠略)は、点火後立ち消えになつた状態で発見されたが、その燃え残つた部分の長さは、約八三ミリメートルであつたことが認められる。ところで、右の懐炉灰が、当初、同判示犯行に際してこれに点火された時、どの程度の長さを有していたか、また、点火後自然消火に至るまでどの程度の時間が経過していたかは明らかではない。原判決が、事実認定の証拠として挙示する長野県警察本部刑事科学捜査研究所技術吏員山口哲雄作成の昭和五六年七月二七日付実験結果報告書には、次のような趣旨の記載がある。すなわち、実験の資料として調達された懐炉灰「マイコール」二四本の長さをそれぞれ計測したうえ、その平均値を算出したところ、八五・八ミリメートルであつた、そこで、同判示犯行に供された懐炉灰も、当初の長さは右の平均値に達していたものと仮定して、これに点火したうえ、同判示の時限発火装置に近似した条件下で、右の燃え残つた部分の長さ八三ミリメートルに至るまで燃焼に要する時間を測定した結果、三〇分ないし四五分間を要することが明らかになつた、というのである。しかしながら、原審が取調べた臼井康雄作成の「カイロ用燃料棒の長さについて(回答)」と題する書面によれば、懐炉灰「マイコール」の長さは、製品ごとに差異があつて一定せず、そのうち、最短のもの八〇ミリメートルから、最長のもの八八ミリメートルまで、不揃いであることが認められる。したがつて、同判示の犯行に供された懐炉灰の長さが、当初からその燃え残つた部分の長さを出てなかつたのではないか、という疑いを払拭することができない。してみると、被告人が右の時限発火装置内の懐炉灰に点火した直後、すなわち、同判示の「コーヒースナツク不二」の床の上にこれを置く以前の段階で、懐炉灰の火が立ち消えになつた可能性のあることを否定できないのである。もしそうだとすれば、たとえ被告人が懐炉灰の火の立ち消えになつた右の時限発火装置を、右「コーヒースナツク不二」の床の上に置いたとしても、その行為が現住建造物等放火罪の実行の着手としての火を放つ行為に当たる、というわけにはいかないはずである。唯、原判決はこの点について、「被告人が判示発火装置をコーヒースナツク不二の床上に放置した時点においては、なお懐炉灰は燃焼していた可能性が十分あり、仮に完全に消火していたとしても、被告人において懐炉灰が燃焼していると信じていただけでなく、一般人においても当時そのように信ずるのが当然と考えられる状況にあつたのであるから、被告人のなした判示行為により一般人が判示建物が燃焼されるであろうという危険を感ずることは極めて当然である。」と説示している。なるほど、一旦放火罪の実行行為が開始された後の段階において、たとえ懐炉灰の火が立ち消えになつたとしても、なお放火未遂罪が成立すると解すべきことは、原判決の説示するとおりである。しかしながら、いやしくも放火罪の着手行為である「火を放つ」行為が開始されたか否かを判断するに当たつては、あくまでも客観的にみて、現実に焼燬の結果発生のおそれのある状態を生ぜしめる行為が開始されたか否かによつて決しなければならない。したがつて、もし時限発火装置内の懐炉灰の火が完全に消えていたとするならば、たとえ、かかる時限発火装置を右「コーヒースナツク不二」の床の上に置いたとしても、もはや、これによつて発火し、焼燬の結果の発生するおそれは全く存在しないといわなければならない。それゆえ、原判示の行為が、火を放つ行為の開始に当たるということはできない。それにもかかわらず、原判決がこの点を積極に解したのは、同判示第三の行為の際、時限発火装置内の懐炉灰の火が立ち消えになつていた疑いがあるのに、未だこれが燃焼していると認定した点において事実を誤認したか、あるいは、たとえ右の懐炉灰の火が立ち消えになつていたとしても、同判示の行為が現住建造物等放火罪の実行の着手に当たるとした点において、法令の解釈適用を誤つたか、そのいずれかによるものというべきで、そのいずれであるにせよ、これらが判決に影響を及ぼすことは明らかである。それゆえ、控訴趣意第二(量刑不当の主張)について判断するまでもなく、原判決はこの点において全部破棄を免れない。論旨は右の限度で理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により、原判決を破棄するが、原判示第三については、放火予備罪の成立を認めることができるから、同法四〇〇条但書により、更に次のとおり判決する。

(当審において認定する罪となるべき事実)

被告人は、

第三 昭和五六年一月一〇日、長野県更級郡上山田町温泉一丁目六四番地八小市佳文方鉄骨造亜鉛メツキ鋼板葺三階建店舗兼用住宅(延二七七・三三平方メートル)に対し、放火する目的で、同所附近の駐車場において、かねて用意しておいた、紙箱の中に入つたガソリン入りプラスチツク袋二袋と、石綿・アルミニユーム片を巻いた懐炉灰一本を、黒色火薬二〇一グラム入りのガラス瓶の蓋の穴に挿入したもの等とを組み合わせた時限発火装置(証拠略)内の右懐炉灰に点火し、これを携帯して右三階建店舗兼用住宅の一階にある「コーヒースナツク不二」に向かい、もつて放火の予備をした

ものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

原判決の認定した罪となるべき事実中、原判示第一、第二、第四ないし第六の事実、及び当審において改めて認定した判示第三の事実に法令を適用すると、被告人の所為中、原判示第一、第二、第四の各所為は、いずれも刑法一一二条、一〇八条に、当審において認定した判示第三の所為及び原判示第五の各所為はいずれも同法一一三条に、原判示第六の所為は火薬類取締法五九条二号、二一条にそれぞれ該当するところ、各所定刑中原判示第一、第二、第四の各罪についてはいずれも有期懲役刑を、原判示第六の罪については懲役刑を選択し、原判示第一、第二、第四の各所為はいずれも未遂であるから、刑法四三条本文、六八条三号を適用して法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、最も重い原判示第四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、後記の量刑の事情を勘案して被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一七〇日を右の刑に算入することとし、長野県上田市常田二丁目三〇番一四号塩入正雄方で保管中の黒色火薬約一七二グラム(証拠略)は、当審判示第三の犯罪行為に供しようとした物で、被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項、四九条を、同所に保管中の黒色火薬約五八二グラム(証拠略)、及び銃用雷管二八二個(証拠略)は原判示第六の犯罪行為を組成した物で、被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項、四九条をそれぞれ適用してこれを没収し、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により全部を被告人に負担させることとする。

(量刑の事由)

本件各犯行の動機、罪質、態様、ことに、原判示のような卑劣な動機にもとづいて、計画的かつ執拗に犯行を重ねたものであることにかんがみると、その刑責は重く、厳しい非難を免れない。してみると、本件各犯行がいずれも未遂ないしは予備にとどまつたことや、被告人には前科がないことなど、被告人に有利な諸事情を参酌しても、主文掲記の刑はやむをえないところと思料される。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺澤榮 片岡聰 仙波厚)

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